「本日、私が最も重要だと考えること、すなわち公正、良心、人間の尊厳、そして助けを必要とする人々への配慮についてのみ述べたいと思います。」と、信者は自身の発言をまとめました。
書き起こし:
裁判長、本日は、証拠や法的規範、事件の状況についてお話しするつもりはありません。それについてはすでに十分語られました。私が述べたいのは、年齢、学歴、国籍、政治的見解、信仰の違いに関係なく、すべての人にとって重要であると私が考えることについてです。それは、「公正さ」についてです。
おそらく、一度も「公正」とは何かについて考えたことがない人はいないでしょう。私たちは皆、自分に対して公正に扱われたいと望んでいます。私たちを正しく理解し、正直に評価し、他人の推測ではなく、実際の私たち自身で判断してほしいと思っています。
この願いは、人類の歴史とともに存在してきました。ある国家元首が言ったように、「公正は人類の永遠の関心事」です。まさにその通りです。歴史を通じて、人々は公正を求め、法律、裁判所、さまざまな法体系を作ってきました。時代が変わり、国家や社会体制が変化しても、公正への志向は変わりませんでした。
今日では、ほとんどすべての裁判所で正義の象徴が見られます。テミスあるいはユスティティアは、目隠しをして手に天秤を持った姿で表されます。覆われた目は偏見のなさ、天秤はすべてを慎重かつ誠実に計量する能力を象徴しています。
私はこのイメージは非常に深いものであると考えています。それは、公正な判断は感情や偏見、他人の意見から生まれるのではなく、人が事実を偏りなく評価し、良心に基づいて決断したときにはじめて生まれることを思い起こさせます。
私は信仰を持つ者として、この志向が偶然のものだとは思いません。それは私たち一人一人の中に創造者によって与えられたものだと信じています。それは国籍や出自、性別、信念に左右されません。人が良心に従い、公正に行動するとき、正しいことをしたと知っているからこそ、内なる平安や満足を感じます。
歴史の中で、キリスト教から遠い人たちであっても、公正な決断を下したのは、良心の声に耳を傾け、真実を見極めたいと心から望んだからです。その一例が聖書に登場するローマの総督ガリオです。
あるとき、ガリオの前に使徒パウロが立たされました。彼はエホバ神、イエス・キリスト、そして死者の復活について宣べ伝えたことで告発されていました。ガリオはパウロの信仰を共有せず、まったく異なる価値観の持ち主でした。しかし、ガリオはパウロの思想を評価したり、自分の信念を判断に影響させたりはしませんでした。むしろ、告発の本質――それが法に違反しているか――に注目しました。違法性が見当たらないと分かると、ガリオはパウロが弁明し始める前に訴えの棄却を決めました(使徒18:12―15)。
私にとってこの例は重要であり、公正は個人の見解に左右されるものではないという真理を示しています。公正には、信念や世界観ではなく、事実や証拠を偏りなく評価することが求められます。そのためには、個人的な好悪を乗り越え、どこに真実があるのかを正直に問う姿勢が不可欠です。
そのため、公正は人の信念に関係なく敬意を集めます。私の事件を評価する際にも、推測や私の信仰に対する態度ではなく、私が指摘されている行為を本当に行ったかという証拠だけが決定的であるべきだと考えます。
裁判長、この場をお借りして一言感謝を申し上げたいと思います。審理の過程で、私は本法廷の進行を観察する機会がありました。双方当事者に意見表明の機会を与え、質問を許し、発言の機会を平等に認めてくださいました。困難な論点については法的枠組みで議論を導き、秩序を守ってくださいました。これについてお伝えすることは重要だと思います。
現代社会では、人々はお互いに感謝の気持ちを伝える時間をなかなか持てません。だからこそ、すべての参加者への敬意ある対応、また自分の立場を述べる機会を十分に下さったことに感謝申し上げます。
もう一つ触れずにいられないテーマがあります。私が常に重視してきたのは、両親への思いやりです。年齢を重ねるにつれて、両親がいかに大きな力を注いでくれたか、どれだけ時間を割いてくれたか、どれほど眠れぬ夜を共に過ごしてくれたかが、より一層理解できるようになります。両親が老い、体が弱り、助けを必要とするようになったら、子どもがかつて親から受けた思いやりのせめて一部でも返すべき時が来たと感じています。
聖書は、家族を思いやるべきだと教えています。私たち家族にとってこれは美辞麗句ではなく、生き方の原則です。私と妻は常にこの原則を指針にしてきました。誰かに強制されたからでも、法律が求めるからでもなく、正しいと信じているからです。それは、愛と敬意、人生を子どもに捧げた者たち、そして親への思いやりの態度を教えてくださった命の与え主への、公正の表れだと思っています。
今日、公正な判断を待っているのは私だけではありません。私の家族もそれ …